激しく、速やかな死
ふ〜、やっとのことで仕事の山場を越えました、
仕事自体は楽しいんだけれども、
やっぱり忙しくて、バタバタしておりました。
それでやっと昨日〜今日、まともに本を読むことができました。
それで読んだ本が「激しく、速やかな死」(佐藤亜紀/文藝春秋)です。
これはね、書店の店頭で、まずその装丁に激しく魅せられて手に取り、
ざっと中に目を通して迷わず購入した、というものです。
何しろ、その表紙の絵がね、
ぬかきみの大好きなブリューゲルの(と言われている)「イカロスの墜落のある風景」が髣髴するような、
ちょっと人を食ったようなところがあって、
しかもそれがさらにソフィスティケートされたような印象があるのですよ。
色づかいも好きなの、
特にソファのペール・グリーンの色が。(笑)
それと、あのヤギさんは何?
ヤギって、特に白ヤギさんはかよわいもの、というイメージがあるけれども、
このヤギさんは、人間の顔をしていて、全然かよわそうではない、
むしろヤギには悪魔のイメージが貼りついてるでしょ、
それをそこはかとなく匂わせる、何とも気になるヤギさんで、
それだけで「買わなくちゃ!!」って思ったのでした。
それでね、本の内容には打ちのめされました、
ええ、自分の中のダメな部分をさらけだされた、というか。
はっきり言うと、自分の勉強不足が露呈させられた。
ぬかきみ、世界史の知識はゼロとは言わないけれどもきわめて薄く、
「勉強しなくては・・・」とは思っていたけど、ついつい楽な方に流れていた、
その事実が、白日のもとにさらされました、
だって「そんなこと、知ってるでしょ?」と言わんばかりに話が進んでいくんです。
でもね、それなのにおもしろかったです、
う〜んと、とても教養のあるご婦人がたのサロンに憧れていたぬかきみが、
たまたまその場に招待された、
けれどもそこで話題になっていることは、上っ面の意味はわかっても、
自分は本当の意味ではその内容を味わってはいないのだ、と思い知らされる、
それでそのことについては居心地の悪さを感じつつも、
その内容の洒脱で面白いところに興味しんしんで、
あこがれはいや増し、勉強しよう!と、闘争心にも似た意欲が湧いたという感じなのでした。
お話はどれも、特に知識がなくてもおもしろく読めるのだけれども、
その中でも特にぬかきみが面白いと思ったのは、
「フリードリヒ・Sのドナウへの旅」
「金の象眼のある白檀の小箱」
「アナトーリとぼく」
です。でも、う〜ん、どれもそれぞれに味わいがあって、
秋の夜長にゆっくり読むのにおススメ!
それと、ぬかきみ、娘時代に、
「悪徳の栄え」なんかを本屋さんで買う時に、
もんのすごく恥ずかしくて、でも、
教養として「読まなくちゃ!」という義務感にさいなまれ、
(いや、白状すると、興味シンシンだったんですよ、もちろん)
必要以上に自意識過剰になって、
多分、本屋さんで挙動不審だったかもしれないという、
はじめてエ○本を買う中学生男子のような思いをしたことまで思い出してしまったです。
その本屋さんでは「チャタレイ夫人の恋人」やら「金瓶梅」やら「北回帰線」やら、
要するにその手の本をたくさん買いましたね、
(別のお固い本に紛れ込ませて・・・笑)
なので、その本屋さんの店員さんから覚えられてるかもしれないと思うと、
その後は寄りつけなくなりました、
ええ、ネット通販なんかない時代でしたからね。
それと、トルストイの「戦争と平和」なんかは、
やっぱり娘時代に、ドストエフスキーと並んで、やたら有難がって読んだ覚えがあるのですが、
(なのに、内容はうろ覚え・・・苦笑)
そうか〜、そうなんだ!と、目からウロコでした、
で、今なら、「トルストイ=有難い」という図式にあまりとらわれずに読めそうなので、
もう一度読んでみなくちゃ、と思ったのでした。
でも、トルストイの「イワンの馬鹿」なんかの童話は、ぬかきみ、大好きで、
子供時代に何度も繰り返し読んだんです、
なので、やっぱりトルストイのことは尊敬してます〜♪
それで、この本の中の「アナトーリとぼく」の一節から、
ちょと思いついた短い話を。
おヒマでしたら。
・・・と思ったら、またもや、1回の「続きを読む」に入りきれなかった、
でも、ほんとに短い話なので、二つに分けて、今日、UPしちゃいますね。
あのひとはびじんなんかきらいなの、とエレナはいった。
どうしてだかわかる。
びじんをみるとむらむらするからですって。
そうするとじぶんがふけつになったようなきがするんですって。
じぶんはきよらかじゃなくちゃいけないんですって。
だからむらむらしたのがおぞましくて、
それであいしているっていったんですって。
そうしたらむらむらしてもきよらかなきもちでむらむらしたことになるとおもったんですって。
でもやっぱりむらむらしたのはじじつで、
あいしてるなんていってもちっともきよらかにはならなかったんですって。
「アナトーリとぼく」(佐藤亜紀)より
むらむらする
・・・このくだりを読んで、手塚は胸が痛くなった。
俺は・・・正直に言うと、跡部を見ると・・・その・・・ほしくなる、
つまり「むらむらする」ということだ、
俺は、跡部のことを「愛している」つもりではいるのだが、
本当は跡部を見て「むらむら」しているだけなのではないだろうか?
いや、もちろんそれだけではない、
跡部は俺にとって精神的な支えでもあり、
一緒に何でも語り合える唯一の存在であり、
今まで知らなかった世界に導いてくれるありがたい存在でもあり、
・・・自分のすべてをさらけ出すことすらできる、
とにかく、なくてはならない男ではある、
そういう側面から言えば、「愛している」と言っても差し支えないように思うが。
だが、「愛している」と言ってしまえば、
その肉体をも欲することが許されるのだろうか?
たとえば神は、人間を広く愛しながら、
人間の肉体など求めようとはしていないだろう。
(ん? マリア・マグダレーナ? ・・・その件は置いておく。)
それに対し、俺の跡部に対する思いは、
確かに大切にしたい最高の存在ではありながら、
その肉体を求め、そこから得られる悦楽に溺れてしまう自分がある。
跡部のことを「愛している」と言える自信はあるが、
そのこととは別に、
跡部の艶めかしい美しさに酔い、
跡部から与えられる快楽の虜になっているのではないだろうか。
肉体に溺れるなど・・・不潔なのではないのか・・・
少なくとも、清らかとは言い難い、
なのに、跡部から離れられない。
それは、純粋に跡部の精神だけを愛しているのではなく、
もっとどろどろした、肉欲の虜となっているのではないのか・・・
自分の肉欲のために跡部を求める、
これでいいのだろうか・・・?
―後半へ続く―

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